東京の古きよき下町が広がる谷根千の一角、文京区根津地区。今回はもえぎ地域福祉事業所文京根津総合センター(以下、センター)で働く山川勝彦所長にお話をお聞きしました。
100社ぐらいの採用面接を受けた末に…
私は一時期色々な職を転々としていたことがあります。非常勤で教員をやってみたり、リネンの工場のアルバイトに入ったり…。リネンのアルバイトは私以外みんなおばちゃんで、ちょっと恥ずかしかった(笑)。でもみんな気さくだし、男の私がよく力仕事をしていたもんだから、頼ってくる。その感じは楽しかった。アルバイト収入では、家計のやり繰りが難しく、再度就職活動を始めました。年齢もあったし、正社員としての就職活動は難航しましたね。100社近く受けたんじゃないかと思います。
やっと採用が決まったのは、自動車の部品製造工場でした。重量が30キロぐらいある金型を運んではそれを熱して加工…を繰り返します。工場内は50度を超える暑さ。3年ぐらい働いたら、自分のシックスパックの腹筋がはっきり見えるくらい痩せました(笑)。
協同労働の第一印象は「面白そう」
ワーカーズコープとの出会いは、求人広告です。2006年頃のことです。「児童館・学童の職員募集」というのを見つけて応募をしました。説明会で初めて「ワーカーズコープは出資・経営・労働を自分たちで行う『協同労働』の組織」と聞き、「面白そうだな」と思いましたね。何回か面接を経て、新宿区の早稲田のこども館(以下、こども館)に採用が決定しました。
区から委託を受けて、ワーカーズが運営を始めた直後のことです。非常勤採用だったので、「いずれは、常勤になりたいな」と思っていました。
「トトロ」の工作を心がつなげた
こども館は児童館と学童クラブが併設されていて、子どもの数は総勢80人ぐらいの大所帯。児童館勤務経験がある新しい職員は、学童の運営に戸惑っていたようです。保護者のほうにも戸惑いはありました。公営から民営に切り替わったばかりですから、ワーカーズコープの信用度が低かった。保護者と職員の話し合いを、何度も行う日々が続きました。
でも、あることがキッカケで、距離を縮めることができたんです。