ヒロシマ・ナガサキ 「原爆写真展2025」 ー日本社会連帯機構ー 文友会会長 村山季美枝さんが体験語る

本紙 福本

 一般社団法人日本社会連帯機構は、戦後80年&日本被団協ノーベル平和賞受賞記念企画として“見て聞いて・知って考えよう”平和連帯アクション「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展2025」を東京(池袋)の本部8階会議室で7月25〜27日に開催。25、26日には講演会、27日には映画上映会も行いました。広島出身の被爆者で、現在、東京都文京区の被爆者の会(文友会)会長を務める村山季美枝さんによる被爆体験の講演(25日)には、45人が耳を傾けました。(本紙 福本) 

折り鶴を前にする新人全国事務局員ら

 写真展は、日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める行動の一環。

 27日までの3日間に、近所に住む人などたくさんの人が訪れました。

痛々しい記憶の数々をたどり

 被爆体験を語った村山さんは、5歳5カ月の時、広島の爆心地から2・3㎞の地点で被爆。「7歳だった姉を家の門柱の脇で見送った時、原爆が落下。その時の衝撃波で、姉が道路の真ん中で宙に浮き、教科書やノートなどランドセルの中身が全て放り出されたのを目の当たりにした。姉は幸い無傷だったが、茶の間にいた妹は、割れたガラス片で頭、腕、腰、足に大怪我をし、血まみれになった」と当時を描写。

村山さん

 血だらけの妹を抱え、無我夢中で家の外に飛び出してきた母親や、妹の頭に刺さったガラスを麻酔なしで医師が取り出す際、泣き叫び、暴れまくる妹を家族みんなで抑えたこと、小学校の校舎の脇で、子どもを抱えたまま死んでいる母親と思われる人が担架の上に放置されていたこと、壊れた家の中から「水、水…」とかすかな声が聞こえたことなど、痛々しい記憶をたどりました。

 また、救護所になっていた学校の隅に積み重なっていた遺体が燃やされていたことを振り返りながら、「いまだに何とも言えぬあの時の匂いを思い出す」と表情を曇らせました。

破壊された町の写真に見入る参加者

“不戦の願い”歌に込めて 

 30年前に始めた短歌の中から、松井一実広島市長が2019年に行った平和宣言の中で、「おかっぱの 頭から流るる 血しぶきに 妹抱きて 母は阿修羅に」が詠まれたことも紹介。

 さらに、16年刊行の『平和万葉集(第四巻)』に収録された「原爆の 非人道を 怒りしも 加害の歴史 しかと見つめむ」と「正当なる 言い分なぞなし、戦ひを 捨つる勇気と 核の廃絶」の2首を詠み上げた村山さんは、「すでに85歳。そろそろこのような体験談も終わりにしようと思う。世界中でいつ何が起こるかわからない状態だが、ただただ、皆さんの健康と幸福を祈るばかりです」と述べました。

 26日には、広島出身の胎内被爆者で、豊友会(豊島区の被爆者の会)会長の柚木聚さんが講演しました。

 社連機構では、8月6日に広島に6人、9日には長崎に16人の代表団を派遣し、街宣行動で集めた署名やワーカーズコープの仲間たちが平和を祈って織り上げた千羽鶴を届けます。