大分市佐賀関 大規模火災 切迫した電話の声/組合員宅焼失/ホーム退去者の衣類提供/入浴対応/法要前のお骨も焼け

 11月18日に発生した大分市佐賀関地区の大規模火災。車で25分ほどの所にあるセンター事業団大分東部地福ゆりかご所長の鎌倉かおるさんが、当日の様子やゆりかごでの支援活動などについて報告してくれました。

大分東部ゆりかご 鎌倉所長の報告

グループLINEで安否確認

鎌倉所長

 18日の夕方6時ごろ、事務所にいると電話が鳴った。

 受話器を取ると「職員のAさんいますか」と切迫した声が耳に飛び込んできた。今日は歯医者に行くと帰られたことを伝えたが、尋常じゃない雰囲気を察し、「どうかしましたか?」と声をかけたが、電話はすぐに切れてしまった。

 慌ててAさんに電話。何度か試みてやっとつながった。

辺り一面が炎に。ゆりかご看護師の下郡あや子さんが、自宅の裏から撮影

 先の電話はAさんのパートナーからで、家の目の前に火の手が迫り、今にも燃え移りそうだということを伝えたかったとのこと。幸いAさん宅は延焼を免れたが、パートナーのおばあさん宅は全焼。両親ともども皆無事だが、避難所のある公民館に身を寄せているという。

 火災が発生した佐賀関地区は、「ゆりかご」から車で約25分東に位置する。古くからの木造住宅が密集し、狭い路地が多いため車も通れず、消火活動は非常に困難を伴う。さらに当日は北風が強く、悪条件が重なった。

 被災者の中にゆりかご利用者はいないか、訪問介護部門の仲間に連絡を入れると、3人いることがわかり、サービス提供責任者の姫野啓子さん、佐藤淳子さんに、翌日、避難所で利用者の安否確認を行うことや、独居の利用者については状況をキーパーソンに連絡するようお願いした。

 その後、大分エリアの組合員に、グループLINEで安否を確認すると、一人の組合員の家が焼け、他にも親族の家に被害があったという報告がいくつか寄せられた。幸い、いずれも避難していることが確認でき、ひとまず胸をなで下ろした。

火災発生の翌日、隣接する山にも火の手が。消化作業にあたる自衛隊のヘリコプター。(下郡さん撮影)

避難所に買い込んだ生活物資届け

 日付が変わる頃、事業所近くの24時間営業スーパーで歯ブラシやティッシュ、その他諸々を買いこみ避難所へ。多くの避難者がいた。混乱はなく静かだったが、家の状況を心配する声や思い出の品を失った悲しみの声が聞こえてきた。

 食料や飲み水は十分に用意されており、南海トラフ地震への備えや、過去の災害経験による準備の成果が感じられた。地域包括支援センターの職員が受付窓口を設けていたが、「誰が避難しているかの全体把握はできない」とのこと。訪問介護の利用者の顔を知らない私は、利用者の安否を確認することができなかった。

 深夜には、消防隊や市職員が協力して簡易ベッドを組み立て、休息場所を設置していた。Aさんたちにも会うことができ、買い込んだ物資を渡した。疲労の色がうかがえた。

事業所にストックしていた衣類を被災者に提供

被災者の入浴の受け入れも

 翌朝、長尾悠平エリアマネージャーと茶木明雄副所長が避難所の様子を見に行き、サー提からも利用者全員の安否確認ができたと連絡がありホッとする。

 私も9時ごろ避難所に行くと、炊き出しの片づけの最中で、地域のクリニックと病院が処方箋の窓口を設置していた。

 皆さん着の身着のままで避難しているため、常備薬を持ち出している人は少ないようだ。顔見知りのケアマネジャーたちが薬の処方箋が必要な人への聞き取りをしていたので、その手伝いをした。

 「ゆりかご」に戻ると、何ができるかを考え、とりあえず着替えや生活物資を必要な人に手渡すことにした。

 いつか洋服のリユース事業でもと、老人ホームを退去した人たちが残していった衣類をストックしていたので、写真を撮り、「いつでも取りに来てよ」とメッセージを添えてケアマネジャーや地域包括支援センターに送付。

 また、お風呂も、デイサービスが休みの土日は開放し、平日は夕方から利用できることも知らせると、早速、洋服や下着がほしいとの連絡が入り、避難所からは入浴の依頼もあった。

 「避難所にいる人たちは、ゆっくり休む場所がないので、ここで泊まったり、お風呂に入りに来たりしてもいい?」と相談してみた。すると皆さんは、「もちろん、いいよ!」と快く応じてくれた。

できることが問われている

 22日現在、まだ鎮火していない。そのため地域のボランティアも炊き出しがメインだ。

 避難所に身を寄せていた人たちの中には、近くに住む子どもの家に移った人も。独居の高齢者の中には施設入所を決めた方もいた。ただでさえ高齢化と過疎化が進む佐賀関は、今回の大規模火災で人口減少に拍車がかかるだろう。

 ちょうどケアマネさんたちや地域の有志たちと佐賀関の活性化をと、細々と取り組んでいた時だったので、とてもショックな出来事である。

 多くの人たちが生活の基盤や思い出の品を失った。

 Aさんのパートナーのおばあさんは、病気で亡くなった息子の49日の法要前に、お骨も含めすべてが焼けてしまった。率直に言って、なんと声をかけていいのかわからない。

 ゆりかごは何ができるのか。今、地域への寄り添い方が問われている。