愛媛・西予 無茶々園50周年 “無茶”と言われた無農薬みかん栽培から
ビジョン「つなぐ、いとなみを」
無茶々園が大切にしてきたのは、特別な仕組みをつくることではありません。
自然を守り、みかんを育て、海と生き、町そのものをみんなで支えあう。
そんな一つひとつの営みを、人や地域を越えて、ゆるやかにつないできました。
そのつながりは、誰かを一方的に助ける“支援”とも、ただ物を売り買いする“取引”とも違います。
顔が見え、気配が伝わり、無理をしない“お互いさま”の関係です。
無茶々園が目指すのは、そうした営みが、少しずつ、もっと遠くまで届いていくこと。
私の仕事が、誰かの明日とつながっている。私の暮らしが、この海や山とつながっている。
この手ざわりを、もっと遠くへ。そんな「いとなみ」を、私たちの手でつなげていきます。
式典に全国から200人
柑橘類の無農薬有機栽培からスタートした地域協同組合無茶々園が50周年を迎えました。その記念式典を、愛媛県西予市明浜町の無茶々園「かりえ笑学校」(旧狩江小学校)で4月16日に開き、北は北海道、南は鹿児島まで全国の生産者・取引先や地元の行政や関係者、招待者約200人、組合員の生産者・職員約100人が参加しました。夜は、同所で手作りの懇親会で大盛り上がりでした。(労働者協同組合無茶々園の森代表理事 大津清次)

協同でよりよい社会を
式典では、宇都宮幸博代表理事が50年の感謝と、「今後さらなる厳しい地域環境や農業情勢が考えられるが、ビジョンにある『つなげる』気持ちを大事にし、参加してくれたみなさんと、我々が協力・協同することで、よりよい社会を創ろう」と開会あいさつしました。
まず、感謝状を前生産者代表の宇都宮俊文さん、当初から役員として関わった宇都宮広さんに授与。来賓の西予市・管家一夫市長、愛媛県議会・兵頭竜議員、パルシステム生活協同組合連合会・渋澤温之理事長、生活クラブ生活協同組合連合会・村上彰一会長、ワーカーズコープ連合会・古村伸宏理事長があいさつ。
古村理事長は「破綻を恐れず、無茶くちゃ続けてきた50年だったのでは。つながっていないと不安な現代社会で、『つながっていない』自由な、オフグリッドな、ローカルな町を体現してほしい」と述べました。
「バーチャルとリアル融合しまちづくり」
「こんな未来を」
続いて、2つのセッション。
最初は、移住組で団塊ジュニア世代(40代)の事務局役員5人が、1年かけてつくった50年後を見据えた「ビジョン・ミッション」の報告と込められた意味を語り、2つ目では「私はこんな未来をつくりたい」と齋藤満天さん(柑橘農家、創始者の息子)、亀井彩香さん(地域協力隊、石積み修繕士、柑橘農家と結婚)、岩田文月さん(新潟大学創生学部4年、創始者の孫)の20代3人が語りました。

満天さんは、「仕事と暮らしが豊かな農業や地域をめざしたい」。彩香さんは、「石積み修繕伝道師として、移住者としての観点から新しい風を吹き込み、地域の価値を生み出し、かっこよさをつなぎたい」。文月くんは、「新潟大学での企業や行政と学生との地域づくりの実践を活かし、バーチャルとリアルを融合した、無茶々園のまちづくりに外部者として関わりたい」。
愛媛大学の笠松浩樹先生のコーディネートと、岩下紗矢香さん(元無茶々園職員)のグラフィックレコーディングで議論を可視化しました。
参加者からエールも。労協ワーカーズコープ・センター事業団山陰山陽事業本部長・高成田健さんは「若者が集い学び、あこがれる地域を創ってください」。生活クラブ東京副理事長・豊崎千津美さんは「温かい気持ちになり、ビジョンに共感できた。地域の未来を自分ごととして考える若者から力をもらえた」。パルシステム神奈川理事長・藤田順子さんは「無茶々園のおもてなしや世界観は心地よい。食べることで応援したい」。
大津が「無茶々園のような地域がつながる、広がることで、新しい経済社会を創りたい」とまとめました。
自立し助けあう
50年後、無茶々園の里がどうなっているのだろうと考えました。
イノシシたちとも共生した森林地帯があり、みかん畑と森の境には、満天くんたちがヤギや鶏を飼いながら、段々畑、カフェなどを運営し楽しそうにしている。みかん山には、ぶどうやアボカドなどいろんな果物が植えられ、テクノロジーを活した農業生産が主流に。海岸端ではいろんな陸上養殖や資源管理された漁業、観光漁業が営まれている。
家庭菜園や小農が盛んに行われ、若者たちは都市との2拠点生活を楽しんでいる。
森の幼稚園が主流となり、子どもたちは豊かな教育を受け、海外の子とも交流。
平均年齢は100歳。元気な高齢者は、楽しみながら地域の役に立つ仕事を担っている。コミュニティ介護拠点がたくさんあり、困ったときには支えられる医療や介護が充実。
狩江集落で1000人が暮らし、持続可能な町になっている。
誰もが自立し助けあって、住民は誇りに思っている。そんな町に変化、発展しているだろう。
そう願いたい。
地域協同組合無茶々園
1974年に、山と海がほど近い明浜町狩江の農業者グループが地元広福寺の伊予柑畑を研究園とし、無茶々園と名付けたところからスタート。無農薬・無化学肥料栽培という、当時は『無茶』と言われていた農業に挑戦。生協や消費者とつながった産直の販売を確立。90年代には明浜の漁業者と提携し、ちりめんじゃこや真珠を販売し、近年は野菜や加工品、コスメなどにも広げる。
95年に日本労協連に参加し、3級ヘルパー講座を開く。2014年には㈱百笑一輝を設立し、高齢者介護に乗り出し、通所介護と有料老人ホームのめぐみの里、15年に海里を開所。16年に旧狩江小学校に事務所を移転、さらに農林水産祭むらづくり部門天皇杯を受賞した。23年には無茶々園グループの学習・研修、事業開発、地域の雇用促進などを担う、労働者協同組合無茶々園の森を設立し、ワーカーズコープ連合会に入会。最近は、藻場バンクなど、気候・環境への取り組みにも力を入れている。
現在、農事組合法人無茶々園、㈱地域法人無茶々園、百笑一輝、㈲てんぽ印、無茶々園の森などで、県内3カ所、海外ではベトナムで活動。生産者は58人、119haに。