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前回の論考に対する質問に答える
連載No. 27 号
岡田尚
提供でなく奪取
前回の論考(県民投票と辺野古移設の今後)に対して、2つの質問が寄せられた。
普天間基地について、私が「無法に強奪したものだから、無条件返還が当然だ」、また、県民投票には「法的拘束力はない」と断定したことに関してである。
前者は、「普天間基地の返還は辺野古への移転が条件である」との認識あるいは疑問が前提となっている、と思われる。本当にそうなのか、これを判断するためには歴史的経緯をみることが不可欠である。
普天間に限らず沖縄の米軍基地は、本土のそれとは根本的に違う。本土基地の成り立ちは「ポツダム宣言」を受諾した代償として、日本政府が戦後「さしだした」もので、そこには合意がある。しかし、沖縄の場合、1945年4月1日、嘉手納(かでな)海岸への米軍の侵攻で始まった沖縄戦のなかで、米軍が戦闘遂行に必要な場所を次から次に一方的に囲い込み徴収していったものである。戦争が終わり、強制収容を解かれ、地元に帰った住民の目の前には、かつて暮らしてきた田畑も住居もなく、鉄条網で仕切られたその...
普天間基地について、私が「無法に強奪したものだから、無条件返還が当然だ」、また、県民投票には「法的拘束力はない」と断定したことに関してである。
前者は、「普天間基地の返還は辺野古への移転が条件である」との認識あるいは疑問が前提となっている、と思われる。本当にそうなのか、これを判断するためには歴史的経緯をみることが不可欠である。
普天間に限らず沖縄の米軍基地は、本土のそれとは根本的に違う。本土基地の成り立ちは「ポツダム宣言」を受諾した代償として、日本政府が戦後「さしだした」もので、そこには合意がある。しかし、沖縄の場合、1945年4月1日、嘉手納(かでな)海岸への米軍の侵攻で始まった沖縄戦のなかで、米軍が戦闘遂行に必要な場所を次から次に一方的に囲い込み徴収していったものである。戦争が終わり、強制収容を解かれ、地元に帰った住民の目の前には、かつて暮らしてきた田畑も住居もなく、鉄条網で仕切られたその...
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