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1945年8月15日

連載No. 61 号
岡田尚
1945年8月15日
朝鮮で生まれる  日本の敗戦で戦争が終ったその日、私は朝鮮半島のほぼ中央に位置する忠清南道天安郡成歓面成歓里(当時)にいた。その年の1月に生まれたばかりだから、当然記憶はない。

 青雲の志を抱いた(と想像される)父が、一家を連れて朝鮮半島に渡ったのは日米開戦の4年前1937年であった。父も母も教員であったから、侵略国の教師として、創氏改名させた朝鮮の子どもたちに、全ての授業を日本語で教えていた。

 父が校長となって着任した際は、初めての日本人校長とあって校門から校舎まで生徒が起立して立ち並び、その中を山高帽を被った父は胸を張って堂々と歩いて行ったという。

 一方母は、夫婦同勤というわけにはいかず、父の官舎から遠く離れた田舎の学校に、幼い子どもたちと別れ単身赴任で勤務していた。週末に山を越えて家族のもとに帰ってくる。夕闇迫る校庭で姉と兄は、母が姿を現す山を「お母さんの山」と呼び、当時その周囲ではめずらしかった白いブラウスを着た母の姿が見えると走って迎えたという。 母は単身赴任  1...
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