この記事は会員限定です

不登校の歴史② 共感の高まりと関心の低下

連載No. 20 号
TDU・雫穿大学代表 朝倉景樹
不登校の歴史② 共感の高まりと関心の低下
 教育社会学者で「TDU・雫穿(てきせん)大学」代表の朝倉景樹さんが、現在の子ども・若者を取り巻く状況や、世界のデモクラティック教育に触れながら、これからの教育や社会、労働のあり方に言及します。 「登校拒否」から「不登校」へ  1980年代後半になると、登校拒否(不登校)は小説の題材になったり、ドラマ化されたりするなど社会の注目を集めるようになる。  そんな中で、88年9月の朝日新聞夕刊一面トップに掲載された、「登校拒否は早期治療をしないと大人になっても無気力症で苦しむ」という、精神科医の主張が大きな反響を呼ぶ。  日本児童青年精神医学会は特別部会を設け「不登校は病気ではない」という声明を発表。「登校拒否を考える会」などの親の会も各地で集会を開いたり、朝日新聞社に抗議を申し入れた。  92年には、当時の文部省も、学校不適応対策調査研究協力者会議の報告で、「誰にでも起きる登校拒否」と見解を示し、登校拒否は病気ではないこと、どの子も経験し得るものであるということを表明した。  また、この頃からフリースクールに通う子どもたちも積極的に発言するようになり、子どもたちの手...
この記事は会員限定です。労協新聞をご購読いただくと続きをお読みいただけます。