この記事は会員限定です
ログイン
③ 商家から山林経営へ 時代の変遷の中で
連載No. 3 号
辻村百樹
江戸商家として
辻村家は初代が江戸中期に小田原の町で、古物商から身を興したことは初回に記した。
江戸幕府も長期統治の弊害が顕著となり、開国を求める外圧に屈して不平等条約を受け入れると、物資の不足や価格の高騰を招き、それが尊王攘夷をめぐる争乱から倒幕にいたる、怒涛の変革へと繋がっていく。
東海道の重要拠点である小田原も否応なくその渦に巻き込まれていくが、先祖が「曽比(そび)屋」という屋号を掲げたのはその前夜であり、商家の基盤を確立した後に幕末の混乱と藩の弱体化が始まったのは当家としては幸運であった。
3代目にかけて商いの規模を大きくして、しばし平穏かつ余裕のある時期があった様子がうかがえる書物が残っている。
それは1794〜1828年にかけて4編書かれた伊勢参宮道中日記の巻物である。その時々の奉公人を引き連れてのお伊勢参りはおそらく大店(おおだな)の象徴であり、奉公人の誇りでもあったはずで、団結力を大いに高めたに違いない。
ちなみに行き先はその後奥州街道にも伸びて、弐番道中仙台日記なる巻物も現存する。財を従業者の福利厚生に惜しみなく使い暖簾(のれん)を...
この記事は会員限定です。労協新聞をご購読いただくと続きをお読みいただけます。