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⑧ 西欧文化への憧憬と実践
連載No. 8 号
林業家・日本社会連帯機構理事 辻村百樹(ももき)
私財を投じて発電所を建設
大正5年、小田原の辻村山林内に水力発電所が竣工した。
標高300m付近の渓流から水を引き込み、途中の沈砂池を含めて全長1・5㎞に及ぶ水路を経て、急斜面を落水させて発電するもので、製材の動力に活用したほか、市中にも売電された。私財を投じてそれを建設したのが辻村6代目常助。私の祖父である。
前号で記した通り、常助は12歳で父を亡くし、嫡男ゆえに通っていた東京の開成中学から地元に戻される。しかし、学問への情熱は捨て難く、以後は独学で英独仏語を学んだ。先代が林業へ軸足を移したお蔭で、日々の商いの喧騒とは無縁に勉学に勤しみ、一方で若輩ながら中央政治家の別邸サロンへの出入りが許されていたので、欧米の農林業の情報や書物に触れることができる恵まれた環境にあった。
政府が地方においても殖産興業を進める中で、電力創出や近代農林業の重要性がサロンの題目となり、常助にもその一端を担う情熱が醸成されたに違いない。
この時代、欧米企業は新興国であ...
前号で記した通り、常助は12歳で父を亡くし、嫡男ゆえに通っていた東京の開成中学から地元に戻される。しかし、学問への情熱は捨て難く、以後は独学で英独仏語を学んだ。先代が林業へ軸足を移したお蔭で、日々の商いの喧騒とは無縁に勉学に勤しみ、一方で若輩ながら中央政治家の別邸サロンへの出入りが許されていたので、欧米の農林業の情報や書物に触れることができる恵まれた環境にあった。
政府が地方においても殖産興業を進める中で、電力創出や近代農林業の重要性がサロンの題目となり、常助にもその一端を担う情熱が醸成されたに違いない。
この時代、欧米企業は新興国であ...
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