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⑨ 終戦そして戦後の波乱と再出発
連載No. 9 号
辻村百樹
地元農家に開放し食料増産に励む
第二次世界大戦に向かう中で、家庭園芸や果実製品等の農園事業を終焉(しゅうえん)せざるを得なかったが、戦争が始まると祖父の指揮の下で、果樹園はもとより山の平坦地まで地元農家に開放して開墾のうえ食料増産に励んだ。
一方で山林は軍部による木材の強制出荷要請を受け、フル稼働での伐採、搬出、製材が続く。主に軍需資材として、兵器製造現場や兵舎など軍事施設向けに出荷されていたが、米軍による空襲が始まると被災建物の復旧と防空壕の内部補強材としての需要に変わっていったという。
大戦末期には連合軍の相模湾上陸に備えて、陸軍が砲台設営のために辻村農園内に駐屯を開始し、また首都圏からは数多くの親類縁者が疎開して来ており、山林や農地で働く人々も増えて山は喧騒状態であった。山梨県南部町の所有山林でも同様に、天然林や明治以降に植林した木の伐採が進められた。 占領軍、政府の戦後政策に翻弄され 終戦と共に山を取り巻く状況は一変し、本業である林業や農園は占領軍と政府による戦後政策に翻弄(ほんろう)される。林業は戦時中の出荷量増加で売...
大戦末期には連合軍の相模湾上陸に備えて、陸軍が砲台設営のために辻村農園内に駐屯を開始し、また首都圏からは数多くの親類縁者が疎開して来ており、山林や農地で働く人々も増えて山は喧騒状態であった。山梨県南部町の所有山林でも同様に、天然林や明治以降に植林した木の伐採が進められた。 占領軍、政府の戦後政策に翻弄され 終戦と共に山を取り巻く状況は一変し、本業である林業や農園は占領軍と政府による戦後政策に翻弄(ほんろう)される。林業は戦時中の出荷量増加で売...
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