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⑩ 戦後の代替わりと里山経営の確立
連載No. 10 号
辻村百樹
山を知る人たちの支えがあったからこそ
戦後の国の制度が大きく変わる機に合わせ、祖父常助は父克良に事実上家督を譲り、いわゆる隠居生活に入る。そして、1959年に78才の生涯を閉じた。
七代目となる父は、東京大学農学部の助教授を務めていたので二足の草鞋(わらじ)を履く状況になったが、当時、農園は小田原特産の梅とみかんの生産に特化して収穫も順調であった。
一方、山林では戦中の強制伐採を逃れた大径木の販売で得た資金を、戦後の拡大造林政策を受けて大規模植林に注いでいた。これらの施業は山に代々住む二人番頭の指揮の下で、彼らの家族と通いの農夫や木こりによって担われていた。
山主よりも山に精通している彼らの支えがあったからこそ、父は東京に居を構えながら大学で教鞭をとり、研究を続けることができた。
この頃、小田原の山ではもう一つの事業が行われていた。戦争末期に陸軍が山に駐屯していたが、部隊は栄養補給用に乳牛二頭を連れて来ていた。終戦とともに部隊は即時撤収して行ったが、なんと牛は置き去りにされてしまっていたのだ。
当方で飼育を継続せざるを得なかったが、戦後の栄養補給に牛乳が有用とさ...
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