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TDU・雫穿大学ができるまで(上)
連載No. 51 号
TDU・雫穿大学代表 朝倉景樹
教育社会学者で「TDU・雫穿(てきせん)大学」代表の朝倉景樹さんが、現在の子ども・若者を取り巻く状況や世界のデモクラティック教育に触れながら、これからの社会や労働のあり方に言及します。
10月、TDU・雫穿大学は、その前身時代を含めて25周年を迎えた。その設立に至る経緯について、次回と合わせて振り返ってみたい。 フリースクールとの出会い 私がフリースクールに関わるようになったのは、大学院1年目の1991年度のことだ。親の会の中では、その頃を「首縄時代」と呼ぶ人がいるように、不登校の子どもは文字通り、首に縄をかけてでも学校に連れ戻されんばかりの時代であった。 連載1回目でも触れたので詳細は省くが、私は大学院に進む前、イギリスに留学していた。その時の経験から「特定の少数者はなぜ否定的な扱いを社会から受けざるを得ないのか」「どんな少数者でも、ありのままの自分で生きていける社会をどうしたらつくれるか」といったテーマに関心を抱くようになった。 その後帰国し、出会ったのが、とあるフリースクールだった。そこでは社会的少数者である不登校の子どもたちが、...
10月、TDU・雫穿大学は、その前身時代を含めて25周年を迎えた。その設立に至る経緯について、次回と合わせて振り返ってみたい。 フリースクールとの出会い 私がフリースクールに関わるようになったのは、大学院1年目の1991年度のことだ。親の会の中では、その頃を「首縄時代」と呼ぶ人がいるように、不登校の子どもは文字通り、首に縄をかけてでも学校に連れ戻されんばかりの時代であった。 連載1回目でも触れたので詳細は省くが、私は大学院に進む前、イギリスに留学していた。その時の経験から「特定の少数者はなぜ否定的な扱いを社会から受けざるを得ないのか」「どんな少数者でも、ありのままの自分で生きていける社会をどうしたらつくれるか」といったテーマに関心を抱くようになった。 その後帰国し、出会ったのが、とあるフリースクールだった。そこでは社会的少数者である不登校の子どもたちが、...
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